豊能町よいとこ探訪記

⓵豊能町の文化財

 豊能町には9つの文化財が有ります。
先ず、石槽(石風呂)についてご紹介します。切畑法性寺(切畑地区)の境内に有ります石風呂は鎌倉時代のものと推定され、石材は花崗岩、長辺200cm、短辺130cm、内法各150cm深さ50cmである。側面の排水溝にかけて浅い溝があり、短辺部の上部に1ケ所、給水口と思われる3cmほどの窪みが付けられている。また、窪みを数か所、薬草を使用し身体を洗っていたと思われ、置き場所として穴を掘ったと思われる。僧侶が斎戒の為に使用したという説、人々が厄病除災にご利益があるとして入湯したという説、単に人々が共同浴場として使用したという説などがあるが使用目的は明らかでない。入浴する時には、石を熱して、それを石槽の中に入れ、お湯にして入ったと言う伝承がある。筆者は僧侶が体を清める為に使用したのではないかと推測します。読者の方で、この石槽の使用方法等をご存知の方は連絡いただければ幸いです。昭和49年3月(1974)、大阪府有形文化財に指定された。

二つ目の石槽は、木代地区福田の集落から東へ約1kmの東の山麓に頂応寺跡があり、その堂跡後にある。年代は鎌倉時代と想定される。残念ながら、中央部付近で花崗岩独特の鋭利な刃物で切ったように中央部付近で二つに破砕され、いたるところが欠損している。底部の南側に蒲鉾状をした水抜き孔がある。この石風呂は、設置状況から考えると、周りには多くの大きな花崗岩が見受けられるので、それらの内の一つを石工が造ったものと考えられる。当時の器具、道具から考えますと他所からこの場所に移動させたとは考え難い。頂応寺跡前を通る道は、余野越街道として東能勢村(現豊能町東部)から多留見峠を超えて西国街道に出る重要なルートであった。天正の末期(安土桃山時代)キリシタン大名高山右近は織田信長の命により余野城を責めている。城に火が上がる様子を右近はこの多留見峠で見ていたと言う。この寺の周辺から鎌倉初期の瓦器の破片が多数出土している。昭和49年3月(1974)に大阪府有形文化財に指定されている。
3つ目は、昭和20年(1945)の秋まで、豊能町切畑(大円・風呂の前)、現在の木代にある向陽山朝川寺(曹洞宗)にあったが、細身良氏3代目(細見美術館)が所蔵し、泉大津市に移転した。その後、時期は不明ですが、現在は京都市上京区にある臨済宗相国寺派大本山相国寺にある。相国寺に移転したとの情報があり、その時点で府外移転したので「文化財指定が解除された」。平成29年3月、豊能町観光協会々長 谷川育子氏、同会理事の西川隆夫氏が、豊能町の貴重な財産であり、由緒ある文化財であり、観光振興の一翼を担うことを念願され、相国寺に対して変換の嘆願をされましたが、残念ながら申し出は辞退されました。いつかは変換され、豊能町の貴重な歴史ある文化財になることを願います。
話は変わりますが、豊能町余野の法寿庵家が所有していました宝篋印塔もこの様な話が有ります。法寿庵家の本家が没落し、敗戦によって秩序が荒廃した時期とは言え、正当な取引によって引き渡されたものではありません。この宝篋印塔は正和3年(1314)建立されたもので、殆ど破損もなく重要文化財級(?)のものです。また、機会があれば紹介したいと思います。現在は兵庫県美方郡新温泉町浜坂、玉田寺に現存します。

⓷切畑法性寺地蔵石仏:最近に造立された様な、劣化も酷くなく、お寺、檀家様の普段の管理も行き届き、大変綺麗で、材質は石英閃緑岩で造られ白く輝いている。高さ133cm、最大幅79cmの自然石の表に大きく蓮華座を刻み、上に高さ83cmの船形をほりくぼめ、像高70cmの地蔵立像を肉厚彫りする。右手に柄の短い錫杖(僧侶や修験者が持っている杖)を持ち、左手に宝珠(災難を除き、濁水を清くするといわれ、思い通りになる珠のことをもっている。得るとどんな願いも叶い、欲しいと思っている宝物を作り出すと言われている。増益の現生利益を祈る対象です。)衣紋は左右相称だが、像容よく整い、写実的であり、像全体から受ける感じは、ゆったりしたものがある。典型的な鎌倉時代後期の形である。鎌倉後期中ごろで、石造美術が最高の造形美に達した時期である。豊能町におけるこの時代の在銘文化財は、大円釈迦堂の還元二年(1303)の阿弥陀三尊笠塔婆とこの地蔵石仏の二基あるのみである。この点から豊能町における重要文化財である。平成12年5月30日に豊能町の有形文化財に指定されている。
このお地蔵さんは「影ひき地蔵さん」と言われ、豊能町の民話に語られています。
最初は、今の所から500mぐらい上の、南月見山にお祀りしていました。はるか西南の方には尼崎の海が見えました。ある日、尼崎の漁師さんが来てこのお地蔵さんから光が差して魚が逃げてしまうので、もう少し下に下ろすよう依頼がありました。しばらくすると、また漁師さんが来て、まだお地蔵さんが光って困りますと言われたので、今の所に移動したとのこの様な民話が有ります。尼崎城が再建されたので見学方々、実際、尼崎の海からこの地蔵様のあった場所を検証しました。方向的には鴻応山(678.9m)方面は見えますので、

今は、高い建物が多く立っていて、見え難いですが、地図上で見ますと充分見えますが、
石英閃緑岩の白さが、月夜の日などは月の光で照らされ、輝いていたのが想像できます。
地蔵菩薩様は、日本人に最も親しまれている仏様と言えます。菩薩様で、お釈迦様が亡くなって56億7千万後に弥勒菩薩が修行中で如来様になるまで不在の為、お地蔵様が人々の苦しみを救済すると信じられている。道端に鎮座しているのを見かけると、可愛らしい姿に心が惹かれ思わず立ち止まって手を合わせたくなります。地獄の賽の河原(死んだ子供が行く所と言われる三途の川の河原)で、子供たちの味方をする話が有名です。幼くして亡くなった子供は地獄に落とされ、罰として、賽の河原で地獄の鬼に石を積まされます。残された親たちはどうする事も出来なく、お地蔵さんが親代わりになって、子供を救ってくれるのです。仏教では、人間の世界は、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天と六つの世界(六道)から成り立っていると考えられ、お地蔵さんはすべての世界を渡り歩いて、人々を救ってくれると言われています。お地蔵様の「よだれかけ」「頭巾」は赤色です。赤色は古来から魔除けの色とされ、赤ちゃんの産着に使われてきました。赤は小さな子供を連想させる色とも言われています。
参考:「豊能町の石の文化財」豊能町教育委員会発行

来て見て良かった 初谷渓谷

豊能郡豊能町は近畿の「へそ」と言われる所に位置し、町章は、町の発展と各地域の調和、浮き出る木の葉4枚を表現していて、山、川、樹木、野草、棚田、石、美しい自然環境が多く、歴史もあります。その自然の中で美しい吉川、川尻地区の初谷渓谷をシリーズで紹介します。
 初谷渓谷は1985年に名付けられた超丹波帯と言われる地層で、古生代ペルム紀(2億9900万~2億5100万年前)から中生代三畳紀(2億5190万~2億130万年前)箕面や能勢、高槻あたりにも分布していて、主に泥岩と砂岩から出来ています。従いまして、柔らかい地質なので崖くずれが多く発生します。また、泥岩、砂岩を利用して硯の原料に使用されたとの言い伝えもあります。

 初谷川の清流と周辺の里山は「大阪みどり百選」選ばれ、能勢妙見山を源流として西に上杉尾根、南に光明山、天台山の伏流水が吉川地区の下の町を上流として、ときわ台、光風台、笹部を通り一庫で大路次川と合流し猪名川に注ぎ込む。一庫までは10㎞余りの川です。わずか60数年前までは初谷川の水でお米を作ったり、物を洗ったりと貴重な資源でした。しかし、大雨が降ると砂防ダムなどの水のコントロール設備がなかったため、川は濁流となり石が流れてきて川は埋まり岸や橋は流され大きな被害がありました。やがて、高度成長期に入り砂防ダム(砂防堰堤)やコンクリートの護岸工事が施工され、下流での被害はなくなりました。一方で魚たちは堰堤を登れず、海まで卵を産みに行くうなぎ等は絶滅になりました。アカザ、メダカ、ドジョウ等は人家や農薬を使用する田んぼのない上流においても減少や絶滅傾向です。このような環境の変化に対応できなかったと思われます。今では水質が綺麗な証拠としてサワガニ、カワヨシノボリ、ドンコが生息し、また、ホタルが年々増加傾向にあるのが嬉しいことです。
 初谷渓谷は妙見山ハイキングコースになっています。妙見口駅(能勢電鉄)より初谷橋→奥橋→府道4号線→妙見山山頂まで約5.9㎞、約2時間30分のコースです。ハイキングコースには、「緊急通報ポイント」看板を箕面消防本部が設置しています。道迷い、山火事、事故が発生したら119番通報時に「コース名」「ポイント番号」を伝えて下さい。また、今後、コースの場所等この番号で記載します。

 コースは溪谷コースで、平地より気温は3~5℃低く夏季は汗をあまりかくことない。川沿いに、せせらぎの音を聞き、野鳥のさえずりを聞きながら、爽やかなハイキングが出来る。

野鳥は年間95種類が飛来して来る。
 能勢電鉄妙見口駅より15分ぐらいで最初に奥橋がありこの橋を渡ると、右手にコミナミ水路堰(せき)がある。ここの河原は川も浅瀬で、低学年の家族づれが、水遊びをするのには絶好の場所であり、BBQなどしている。コミナミ水路の水嵩、流れの速さを見ると、初谷川の状況が判断できる。しばらく行くと一番目の堰堤を通り過ぎ、BBQ広場が見えてくる。広い川岸があり、週末には車でキャンプ、ピクニック客が多く来訪している、多い日には100名以上が来ている。訪れている人々は、年代も10才代から70才代、一人から、家族連れ、グループ(5名から20名位が多い)。
 また、能勢電鉄主催の妙見ハイクには300名以上の参加がある。参加者は地元はもとより、大阪市、豊中市、吹田市、川西市、神戸市、京都市他14地域(平成30年5月調べ)から来ている。年々来訪者が多くなっており、特に能勢電鉄主催妙見ハイクには若い女性グループが増加傾向にある。
 №3を過ぎると、右手に「キツネノカミソリ」が7月下旬に咲き、今では多くの人が楽しみにされ、認知されるようになった。
 二番目の堰堤が見えてきて、この当たりは初谷渓谷で一番高く約20mの溪谷である。豪雨の跡の堰堤に落ちる水の音は迫力があり、音源はfffである。
 杉、檜の木の林間を通りながら、小石の多い道をしばらく行くと、令和2年4月1日に完成した「初谷渓谷憩いの場」に到着。タマゴとキバ&巨大原人の足跡のモニュメントが見えてくる。

その後、大きな5番目の堰堤(ここは川尻地区に入っている)を右下に見て歩いていくと、№11の最初の沢渡り地点に来る。この沢渡りは12~13ケ所ある。大雨の後などは流れが速く、水に濡れながら渡って行く。バランス良く渡らないと川の中に落ちそうになるので、ついつい力が入る。結構スリルがあり、自身の運動神経が試される所でもある。

 冬期は、コースには落葉樹の落ち葉が沢山積もり、まるで絨毯の上を歩いているようで、冬の静けさの中でカサカサと言う音が寂しくも、一人で歩いていると心地が良い。雪は25~30㎝ぐらい積もり、木々の枝は積もった雪の重みで折れそうになる。時々、鹿、猪が通った足跡が残っている。
 

しばらく行くと、№13付近の左上の杉林を見上げると、押せば倒れそうな絶妙のバランスで、奇岩の人面岩が座している。
 №14付近には右側の法面に2ケ所間歩(鉱山の試掘後)がある。 

№15からは杉林の中を川沿いに登っていくとリスに出会うかも知れなく、また、初谷川の源流があり、最終の№21(府道4号線)に到着する。ここで初谷渓谷コースは終了であるが、左方向に20~30分に登っていくと、妙見山に到着する。


初谷渓谷の国蝶オオムラサキ

 初谷渓谷は昔ながら里山として、昆虫類、植物にとっては絶好の山であった。
ただ、近年炭焼き、草刈りを止めて人が山に手を掛けないようになってから、木々も雑木林の状態になり、残念ながら生態系が変わってしまいました。

 日本昆虫学会が準絶滅危惧種に制定され、この初谷も4年前にある人の進言で「初谷のオオムラサキは絶滅するで」と言われ、向井勝氏(吉川在住)が初谷渓谷入り口にある場所に「オオムラサキ」の飼育ゲージを作られました。
 飼育は大変難しいのですが、今年もその美しい蝶々が100頭(数えるのは頭です)以上羽化し、7月初めに吉川幼稚園の園児とBBQ広場で一緒に放蝶しました。大変喜んでくれました。
 初谷の「オオムラサキ」は美しいのが有名で、昔は溪谷の中を飛び回っていたようです。
 私の蝶々の好きな知人は若い時から能勢電に乗って、オオムラサキは空高く飛んでいるため、なかなか捕れなかったが良く鑑賞に来ていました。彼が今年、何十年ぶりかに見に来て、大変感激していました。
 オオムラサキは「エノキ」和名「榎」アサ科エノキ属、落葉広葉高木で樹高15m~20mの木で育ちます。初谷渓谷の里道沿いに大きなこの木が10数本あります。

 一年一世代で、成長過程は
1令幼虫(7月中旬~下旬)、2令幼虫(8月初旬~中旬)、3令幼虫(8月中旬~10月下旬)、4令幼虫(11月上旬~4月下旬)5~6令幼虫(4月下旬~5月下旬)、サナギ(5月下旬~6月中旬)、成虫、産卵(6月中旬~7月中旬)になります。
①左写真:来年へと命を繋ぐため、産卵します
 卵塊といって一度に多くの卵を産みます。生みたてはとても綺麗な色をしています。自然界では、卵からの生存率は0.5%程度と言われる過酷な世界です。
②越冬幼虫(11月~3月下旬)落葉したエノキにひっついて、じっとしていて冬を越す。
③4月ごろ暖かくなってくると、冬ごもりから目覚めエノキに登る。4令幼虫がエノキの芽吹を待っている。
④4令から5令幼虫へ:昆虫の皮膚は固く、殆どのびない(外骨格)。脱皮しなければ体は大きくならない。外骨格を持ったことが4億年も前から生き続けられた戦略の一つと考えられる。この時期、葉っぱをもりもりと多く食べ、蛹になる徐々に体制を作っていく。
⑤蛹:幼虫から成虫に変わる大事な時で、葉の裏側に保護色で葉の色や葉脈と同じ色で、強力粘着剤が付いている様に葉にひっつき殆ど落下はしない。この時期天敵に襲われるので逃げることが出来ないので、天敵を感知すると、命を守るためブルブルッと大きく体を動かす。約3~5分で羽化し、それから体液を体中に送り、翅をのばしたり口吻を一本にしたりして体をしっかりさせます。飛び立つのは羽化後約4~6時間後です。


⑥殻から頭を出す

⑧オオムラサキは♂が約1週間先に羽化し♀が羽化するのを待っている。♀が羽化するのと直ぐにパートナーを探し、交尾、産卵する。


⑨種の保存するため、命を繋ぐため交尾をします。


⑩令和2年7月2日、吉川保育所の園児と一緒に、初谷渓谷のBBQ広場で沢山のオオムラサキが生まれてくることを願い放蝶をしました。
毎年、4月ごろより、初谷飼育ゲージで担当者が主に土・日(不定期)観察しておりますので、お声をかけて頂ければゲージの中まで入って頂き、案内します。
初谷では6月20~25日頃に羽化し、♂の大変綺麗なムラサキ色の翅を見る事が出来ますので、ぜひ見に来てください。
参考:国蝶・オオムラサキ
つくろうオオムラサキが舞う里山空間 兵庫丹波オオムラカキの会発行