池田町と木部の間隠れ里 摂津有馬の湯山権現

柳田国男の「山島民譚集」から北摂の民話を二話紹介します。   文は飯島正明
池田町と木部の間隠れ里
摂津豊能郡細川村大字木部と池田町との中間に一つの隠れ里があってな、この里に万福長者が住んでおったが、とうとう亡くなって、その跡があると「摂陽群談」に書かれておるんや。
その隠れ里の入口は洞穴やそうで、なんでも、その穴というのが古墳の横穴で、中に入ったら石の船がおいてあるんや。そこが竜宮の入り口やそうな。その船は石の棺桶やねんけど、竜のおるところまで行くそうな。そこへ行って打出小槌をもろうて帰って、長者になったというので、打出村という名はここから起こったといわれているんや。
長者は滅んでしもうて、もうだいぶ経ちますさかい、隠れ里もわからんようになってしもうたけど、その場所で物を拾うたら、その人は必ず幸せになるいうて、今も信じられてますんや。そこを見つけたかったら、地上に耳を伏せて聞いてみい、酒宴饗応のうらやましい音が聞こえるんや。隠れ里の音やそうな。今でもそういわれているで。
摂津有馬の湯山権現
阿波の領主三好修理太夫長慶の弟に勇猛果敢な十河一存(そごうかずまさ)という武士が痘瘡を煩ってな、有馬の湯に養生に来たんや。おとなしく湯につかっとればいいものを、具合の良くなった一存が有馬権現に馬で参詣に行こうとしたところ、みんなが「有馬権現様は馬を嫌ってはるから、馬に乗って行かん方がよろしいでしょう。やめときなはれ。」と止めるのを、おしてなぁ、立派な葦毛の馬に乗んなさって、ここの山を登りはったんや。ほなら案の定、途中で馬が何をきらったのか、馬が急に暴れだしてな、落馬しはったんや。国へ帰りはって程なく、病に伏せって亡くなりはった。1561年(永禄4年)の春24才の若さでしたなあ。
摂津有馬の湯山権現さんは、この山の地主神でな。むかし女人の姿になって、麓で遊んでおられた。
ある時、摂津守護なにがしがタカ狩りしてたんやが、この権現さんの姿を一目見たので、馬に乗って近づこうとしたら、どんどん山の奥へと入っていくので追いかけたところ、怪しく思い、矢をつがえて射なはったそうな。すると、その咎(とが)で、この武士は命を落としはったそうや。それで、この山に弓・矢・馬で入ったらな、必ず山が荒れて稲妻・雷があるといわれておるんや。

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